情報格差とインテリジェンス

情報収集能力が格差の要因となる

自分が今ネットの世界にどっぷりとつかりつつあるのとともに、仕事上教える場にいることで最近感じることがあります。

ネットの世界、いわゆるあちらの世界にいるひとたちというのは特異性を持っていることを感じており、そして少なくとも情報入手に関してはアーリーアダプター以上の傾向があるということを感じています。これはツールの利用の能力よりも大事なのは、情報入手の志向があることに大事に感じています。

このような、情報入手におけるアーリーアダプターの人(志向)がツールを使いこなして(能力)、情報入手ができるようになっていることによって、アーリーマジョリティー以降の人々を突き放していくのではないかという予感を最近感じています。これこそ、新しい波であり、乗り遅れては一気に格差ができてしまう。これは成長に関しても同様で、知識の種類の分散化がはかられているのと同時に、今は少ない知識が、雑学などにおいては一気に底上げし、ふくらみを持たせている気がしています。

10年泥のように働けという話で以前話題になりましたが、それを一つ塗り替えてしまう要因があるのが、この情報入手の部分になります。周囲にいる人々がこの格差を実感していないこと。この怖さが自分の中にあったりします。

情報とインテリジェンス

情報格差を実感はしていますが、もう一つの視点が必要だと思います。
これは、姜尚中の「悩む力」にでているところでもあります。

それは、informationとintelligenceの違い、あというならば、知識と知恵つまり、knowledgeとwisdomの違いにあるでしょう。

情報になれている人は、wisdom of crowdsという言葉でなれていると思うけれど、多くの場合、今の情報入手の部分ではまだまだwisdomまでいっていないし、それこそ、暗黙知を享受していないで、知ったつもりになっていることが多い。これが一番怖いことでもあると自分は思います。

イノベーターおよびアーリーアダプターなひとにとって、knowledgeはきっかけであるし、それから自分なりのwisdomを形成することや、intelligenceを築く入り口になることは確かだと考えます。そのためにはseki modelではないが、実践していくこと、見守る環境があることこれが大事になってきそうです。

とにかく、実践していかないで、知ったつもりになることだけは、常に自問していかないといけないでしょう。そうでないとせっかくの高速道路・高規格道路にのっているのに、いつの間にか環状道をまわっている・・・ そんなことになりかねない。

個としてマインドセットを行うこと。場として、育てる場を作り込むこと。

まだこちらの世界といわれる部分が強いことであり、こちらの世界における情報収集能力が高いほどいいということが競争優位につながっています。これはしばらく変わらないでしょう。こう考えていくと、双方を鑑みながら、動きを素早くつかんでいくといった成長をしていかなければいけなくなります。

その成長のためには、場を造っていくということでもできるでしょう。ネットには様々な視点があふれています。ちょっとした人の力を活用していくことが必要でないでしょうか。ITによって、コミュニティーが形成されやすくなっているのを実感していますが、相互に育っていく環境を作っていくこと(少なくとも、育っていくことができる人を見つけること)を作っていくことを少し意識してもいいのではと考えています。

よく上司の育成で使われる言葉で山本五十六の言葉

「やってみて、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば人は動かじ」
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」
「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」

これらが見えるところまでコミュニティーは形成されつつあります。
知恵や知性を生み出すネット環境を作ること。そしてそのプロセスの一般化が次のWEBコミュニティーになるのではと考えています。

阪急電車で感じるサービスの形

前のエントリーで挨拶について書いたのでその続きと言うことで。

阪急電車って自分そこに住んでいる訳じゃないけれどすごい好きな電車です。電車の乗り心地じゃないんですよね。乗っていて気分がいいという意味で。

まず乗るときのアナウンス。

「お待たせしました。1番ホームに・・・」

お待たせしました という丁寧な言い回し。JR東日本の場合いきなり「まもなく1番ホームに・・・」という感じ。自分の乗っている私鉄なんて、電光掲示板に「電車が通過します」とかそんな表示のみ。ここで体質なんかを感じてしまいます。
次に、混雑時の学生らしき整理する人。扉しまったときに見てると、ちゃんと礼をする。JR東の場合はさてつぎつぎみたいな。ここで差を感じてしまうんだよね。別に電気的なアナウンスでも違う風に感じます。

阪急の場合、例えば宝塚の人も一番後ろの車両に乗っているという話を聞いたことがあります。お金をちょうだいしているのはお客様だからとのこと。これは小林一三の教えを徹底しているという話。こういう教育、DNAってすごく大事だと思っています。
こういうのってテクニック的な物かもしれないけれど、実際意識付けするのは結構大変。
サービスの形という意味で、いろいろなものが考えられるわけですが、心が基本だと考えています。その点において、基本のしつけということで、阪急電鉄をだしました。

この意識付けが、いわゆるアルバイトまで徹底されているのは、すごいなと言う話を企業の教育担当の方と話したら好評だったのでここに記載しておきます。

挨拶botとして

自分は挨拶botといわれていたことがあって、事実そうだと思っているから、自分のプロフィールに挨拶botってtagをつけいたりする。実際結構タイムラインを汚したりしているだろうし、APIが規制されて、全部とれる訳じゃないのに、挨拶によって汚れてしまうということで怒っている人もたくさんいるだろう。何で挨拶botをしているかというのを少し書いてみたい。といって人によって理由は違うとは思うけれどね。

twitterの挨拶は人それぞれ

当然ながら挨拶を行うと言うことは相手がいる。その中でいくつかのパターンがある。

  1. 初動:おはよー
  2. 相手からの返信:おはよー*1
  3. 相手への返信:おはよー

この場合がパターンがいくつかある。

    • 返信しない
    • 複数人併記
    • @くれた人ありがとう
    • 一人一人に返信する

というような形。当然ながら、一人一人に返信することによって数は多くなる。どのようなときに挨拶botといわれるかと言えば、一人一人に返信する、かつ、挨拶がほとんどというものだろう。これによってpostの中の挨拶の比率が極端に上がり、挨拶botといわれるはずだ。

ちなみに自分は一人一人に挨拶をつける。ただ行っているのは、朝早い時間を中心にしていること。これによって汚れることは少ないかなと思っているから。あとは一言付けたり、おはよーという言葉も工夫する。

ネットの挨拶で「気」をつたえることができるのか?

握手する、手を触れる。こういうことをやることによって気を伝えることができる。気って訳のわからないものかもしれないけれど、実際にあると思うんだよね。じゃあ、文字だけで伝えることができるのか?擬似的に伝えることができると思うんだよね。相手からもらうと言うよりは自分の中で生産するような形。こんな形だと思う。
また一ついえることは、少なくとも相手に返信していると言うことで、ちゃんと見ているよという表明を行っている。ネットの良さは抑揚などがない分、感情の強弱が伝えられにくい分、ある程度の水準の意味の強さを表現することにある。

たとえば、スーパーで商品を買うとき「ありがとうございます」というものをこちらを見るか見ないかで印象は全く違うのは感じたことはないだろうか?これは会社でも、学校でも同様。その点、普段中途半端に挨拶する人が多い気がする。人がいるのに誰に向かって挨拶しているんだろうと。こう考えると、その人に向けて挨拶を行うtwitterは少なくとも適当に挨拶している人よりもよっぽど相手の心が伝わってくる。

川田さんのブログを見て

なくなられた川田さんのブログを見て自分が結構気になったのが、「おはようといいたくて。おはよう。」という部分だった。おはようといえなくなるだけ孤独。たぶんtwitterやっている人なら確実に、twitterやればいいじゃないという話が出てくると思うけれど、実際これを求めている人って結構いるのではないだろうか。
自分がtwitterを様々な人に紹介するとき、特にカウンセリングとかを行っている人に説明するときこの挨拶について説明すると、すんなり合点がいく。たとえば、単身赴任したときどうだろう。家族がいるのに毎日挨拶するだろうか?ただいまといって、誰か返信してくれる人がいるだろうか。twitterでの挨拶はこれができる。*2

挨拶は元気玉

twitterでの挨拶は「オラに元気をすこしわけてくれ」。これにつきる。確かにネガティブな印象を持つ人も多いだろうけれど、それはそれでいいと思う。いやならR&Bすればいいのだから。ただ、自分は挨拶することによって元気になったりする。多分そう思っている人もいるんじゃないかな。これってすばらしいことじゃないかな。だから僕は挨拶をし続けている。

*1:最近は複数人返信することが見受けられる

*2:先日のガイアの夜明けでリアルタイム性が少ないモバゲーで挨拶をしているというのにはびっくりした。

やさしさから逃げ出したい

友人との会話で、「やさしさ」がわからないという話を聞いた。考えてみると「やさしさ」の構造は複雑化してきている。ちょうどここら辺について本を読んでいたので上げたい。

特に参考になるのは大平健氏の「やさしさの精神病理」。著者は、優しさが70年代には傷のなめあいから派生する、「癒し」としてのやさしさだったが、大量消費時代になり、80年代からは「予防」としてのやさしさに変化したと指摘している。
「予防」するやさしさは、相手に対して気遣いをするやさしさ。ここで大事なのはなぜ予防しなければいけないのか。それは自分を守るため。自分を傷付けたくないため。この点は大平氏も指摘している。

もうひとつ参考になるのが「友だち地獄」 土井隆義に記述されていた。このような空気読めという人々というのはちょうど個性教育を訴えだしたころと一致しているということ。個性教育によって、自立した人材の育成を行おうとしたが、逆に小さくまとまる動きにつながってしまった。それが空気を読む時代。

ハリネズミ化している現代においては、集団主義のなかで常に「予防」するやさしさを発揮していかなければいけない。「予防」するやさしさは人間関係の潤滑油として機能する。しかし今の時代においてはあまりに潤滑油を大量に注いでしまっている。だからこそこんな息苦しいやさしさになった。

そして予防ばかりしていて、疲れてしまう。自分を守るために使っているやさしさによって、自分が疲れてしまう。考えてみると、この過剰なまでのやさしさによって、自分が傷つくことに対する免疫をなくしてしまっているのではないだろうか。

そんな過剰なまでに使っているやさしさから逃げ出したいと感じているところです。

スルーを引き出す言葉

今日もtwitter界隈でもめ事が起きているようですが、
スルーできなさそうな人がいたときには、スルーできそうな言葉をで逃げ道をつくってあげるといい。

たしか、イッセー尾形の演出家である森田さんについて記録した、イッセー尾形の人生コーチン
http://ec.nikkeibp.co.jp/item/contents/mokuji/m_P45590.html
に書いてあったことだったと思うんだけれど、昔は例えば失恋していたときとかでふさぎ込んでいたら
「何をしているんだ、さあ飯食べるぞ」と家族から言われて逃がしてもらっていた。確かにそうなんだよね。

これと同じような話が今日twitter上に流れていました。

線路に飛び込もうとしていた人に
「オレ急いでるんだよ!次の電車にしてくれ!」と止められている人が居た
http://twitter.com/kennak/statuses/809019198

こういう人って、普通にやめてとかいってもやめないですよね。これ言われたら、死ねないよ。

逃げ道を作る言葉というのは「けたぐり」の様なものだけれど、こういうことを言える語彙力・ユーモアというかな、そんなのを鍛えておいた方が良いかもしれません。

とにかく、こういうときはまじめにぶつかっちゃーだめだし、ぶつからせないようにしないとね。

Ripplexのmokana的使い方の走り書き

ripplexとは

http://www.ripplex.com/jpn/

TwitterSkypeと自動連携して、アドレス帳を管理するソフト。Twitterのアドレス管理ってあるようでなかったような。

WinもMacもあるからtwitterを使っている人はダウンロードしてみるといいよ。まだUI悪いけれど、可能性があると自分は踏んでいるよ。

ダウンロードしたらまず何をやるの?

自分の情報の設定を行おうよ。後から設定するのはめんどくさいので早めにやっておくとよいよ。

ちなみに自分の場合はこんな感じ。

めんどくさいのが画像の登録。
これカテゴリーごとに入れられないんだよね。自分の情報じゃなくって、アイコン画面か、詳細画面にある自分の情報から登録できるよ。ここでアイコンの画面を開くと+のボタンがあるので、そこでようやく入れられます。

ちなみにカテゴリーごとに各種情報の公開の設定はできるのですが、なぜかこのアイコンだけは各人設定しないとだめなようです。
早く改良してほしいものですね。

オフ会告知ツールとしての使い方

自分は、オフ会の情報なんかを入れています。更新すると、伝わるからね。
ちなみにこれ、この人たちには伝えてみようなんかの制限をかけることができるよ。
だから、伝えたい人にまとめて伝えるにはいいんじゃないかな。ほら。ついったー部に書いてあっても見ていないってことあるじゃない。

あと、一応twitterとか、ついったー部に投げておいたほうがいいよ。ほら、リプレックスだって見ているか分からないし、人との広がりも得られないからね。そこは大事にしたほうがいいかも。

まあ、これで人間関係を狭めるって思うかもしれないけれど、使い方だし、元にDMとかで知り合いだけに流している人もいるからね。
ちなみに自分は確定しているものとか、他の人主催のもの以外は、リンクはっている人全員にオープンにしているよ。どうせtwitterに流しちゃうからね。

それが終わったらつながっている人はリンクを張ろうね。リプレックスを入れている人はルーペの絵が青くなっているよ。
気軽に申請してみればいいんじゃないかな。最初のうちはIDとかだけでもいいと思うし。R&Bしたらリンクを切ればいいからね。

名刺にかくコメントみたいなツール

リンクつながっていない人でも、項目の追加でメモとかを残せるよほら。どこどこであったとかっていう話って忘れることあるじゃない。どういうのが好きだとかね。そういうのをメモで残しておくといいんじゃないかな。

このメモ書きは公開されないみたい。だから忘れないうちに書いておくといいと思うよ。自分なんかは、お酒好きな人だとか書こうと思っているよ!

なんか、共有設定で見ることができるかもしれないんだけれどそれは試していないや。今度試してみるね。

注意点

各種つぶやきに関しては、2分おき位に取得しているみたい。だからクライアントソフトを使っていて60秒で取得していたら制限に引っ掛かるかも。だから注意注意!
あと、更新情報とか今すぐ同期では送受信しないみたい。

既存の不都合

画像を張り付けるってのができないし、一斉に設定を変更するとかもできないし、統合したのに統合ができていないとかそんなのがあるけれど、とりあえず中の人には頑張ってほしいな。
設定がまだできないから、カテゴリを作って、つながった人用のフォルダなんてつくっているよ。アイコン以外はフォルダーで設定を変更できるみたい。

ほしいもの

友人がどれだけ公開しているかの一覧があるように、自分がどれだけ公開したかの一覧を出してほしいね。
これが一番気付かないよ。これは早急に入れてほしい機能だね。

最後に

チラシの裏的な走り書きだけれど、ripplexは可能性があると自分思っちゃうので、いろいろ試してみて使い倒すといいと思うよ。

また、面白いものとか、もっと詳しく説明するものとかあったら随時書き足していくね。あとここもわかりやすく書きなおしたいな。

【追記】Ripplex担当者とスカイプで話した中で

22:00位から担当者と話しました。UIについてはこれから改良していくとのことです。
これから開発者blogを作っていくとのことです。楽しみですね。

アイコンの部分の登録の仕方については、修正をしようとしているとのこと。
ここら辺は期待して待ちましょう。

あと、統合がうまくいかないのは、例のtwitterの不都合でユーザが取れたり取れなかったりということがあり、はがれちゃったとのことです。ここも仕組み自体を変えるとのこと。

あと、自分のメモについてもにらんだとおり、共有フォルダで公開されるけれど、それ以外では公開されないようになっているとのことです。
安心して書けますね!

ついったーポスターを見てわかったこと

ついったーポスターを見てわかったこと。

http://twitterposter.com/jp

海外と見比べるとわかったのだけれども、
圧倒的に自分の顔写真を載せていない!

日本の場合言論の自由なんていうものは
それこそdisられる閉塞感があって、
だからこそ、リアルとは別の人格をついったー上で展開しているってことなんだろうな。

ついったー内のdisなんてスルーが基本(だと思っている)だし、コントというよりは、
昔の家庭内にあった、dis仕合みたいな雰囲気を自分は感じてしまったりする
(これ自体は異常なのかも知れないけれど)

自分も最近はリアルプレイスとして使っているmixiと切り離したことによって、
人格が二つに分かれてきているようなそんな気もしています。