破壊的な感情とは?

それでは初回のなぜ人は破壊的な感情を持つのかという心の原点からみていきたいと思います。

なぜ人は破壊的な感情を持つのか

なぜ人は破壊的な感情を持つのか

「うざい」という言葉などは自分からみると、破壊的感情に近いのかなと思ってみていますが、まずはその定義からみていきたいと思います。ダライラマ、ダニエルコールマンの著書「なぜ人は破壊的な感情を持つのか」からその答えのような物を探っていきたいと思います。

破壊的感情については、「自分や他者にとって有害な感情であるということ」という定義されています。しかし有害とは何か。その点の追求が本書で話されていました。

西洋哲学で言えば人間の心の奥底には次のような物があるそうです

1 分別のある利己主義者
2 自分本位であわれみ深い
3 あわれみ深く自分本位

ここにダライラマはもう一つの答えとして「人間は本質的にあわれみ深い」という物があります。利己的な遺伝子という本があったように西洋的な考え方として利己的というものは人間の根本にあると考えているそうです。その中で破壊的精神状態と建設的精神状態が存在しているとしています。
一方仏教の中では、曖昧さが破壊的感情を引き起こすとしています。
建設的なことと破壊的なことのバランスがとれない、すなわち、度の過ぎた愛着があるからこそ、欲望・嫌悪感を発生させ、拒絶するか破壊する。
また、利己的なものから解放していくことが仏教にはあるようです。

この中で破壊的精神状態を次のように表しています。

憎悪、執着、無知、慢心、嫉妬

しかしこれらの破壊的感情も、日常生活において幸福を得るためには必要なこともあります。強い執着などは、よく言われることです。また、それぞれに対応すること、仏教で言えば煩悩の解毒によって、輝きを増させるということもあります。しかし、多くの場合は、有害な行動につながっていくことになるでしょう。

ではどういうデメリットがあるのでしょうか。

肯定的であること、楽観的であることは周囲に対していい影響を及ぼし、否定的であること、破壊的であることは、周囲を悪い方向にするというのはわかるでしょう。

西洋には、自分を愛することができて初めて他者を愛することができるという考え方があります。つまり、自己評価が低く自己嫌悪にかられている場合や、自尊心が欠如している場合は、他者を愛することができないという考え方

これに関して文化的にも違うので異論もあると思いますが、東洋的にはあわれみというキーワードが入ってきます。

あわれみとは、他者に対する単純な感情−同情−以上の物であり、心からの気遣いと思いやり、その人の苦痛を軽減するために何かしたいという気持ちになります。破壊的感情を取り除くこと発議のようなことが示されています。

物事をありのままに観て、正しく機能することを妨げるのが、破壊的感情なのですから。心を曇らす感情は、物事や自分自身の本質をきちんと見抜くことを妨げます。物事をありのままに見ることができれば、否定的感情を脱却し、道理にかなった肯定的感情−自発的で自然なあわれみを含めて育てることが容易になるのです。

そして、心をクリアーにすること。これにより心の安定、明瞭さ、幸福といわれる満足感を得られるといわれています。

では、次にこのような破壊的な感情が引き起こされる人、起こす人双方の視点を含めて、困った人をみることで、考えていきたいと思います。