技術や知識の陳腐化と簡単に言うけれど

コミュニケーション系の話はまだまだ続くとして、ふと思った陳腐化について書きたいと思います。
技術や知識の陳腐化って簡単に言うけれど、何か違和感をすごく感じることがあります。陳腐化という言葉を辞書で引くと次の通り

(1)新しさがなくなってしまうこと。
(2)ある商品や技術が新製品の発表や技術革新などで時代遅れになったり、季節商品で売れ残ったりしたため、販売価値がなくなってしまうこと。
「―資産」「新開発の商品も今は短期間で―してしまう」
ちんぷ-か ―くわ 0 【陳腐化】 - goo 辞書
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C4%C4%C9%E5&kind=jn&mode=0&base=1&row=1

技術の要素として、それこそオープンにすることによって、目新しさが無くなってしまうことがあるのは確か。その点は陳腐化なんだけれども、さて、陳腐化することによってその技術はもういらないという話とはまた違います。陳腐化という言葉がイノベーションと異なり、ネガティブな言葉(計画的陳腐化という言葉もありますが)であることも要因としてあるかとは思います。

破壊的イノベーションが起きればそれこそ急激に陳腐化は起こっていきますが、そんなに簡単に破壊的なイノベーションは存在しないわけです。

そこで陳腐化という言葉は、誤解を生みやすい言葉でもあるかなと思ったので、もっとわかりやすく理解するためには、陳腐化を価値の低下、そして、内部・外部の価値の相対化という言葉に置き換えて考えてみます。

外部との相対化というのは、外部からの力により、価値が相対化してしまい、競争優位性が落ちてしまうってこと。これは大きいことですよね。参入障壁がフラットになっていたり、情報収集が容易になっているなど、様々あると思います。

もう一方の視点として、昨日医療系の人と話していた際に、毎日毎日新しい技術について覚えていかなければいけないという話をいっていました。これは陳腐化というよりも知識量の肥大化であり、一つ一つの知識・技術に関して内部相対的な価値が小さくなっていくと言うこともあるかとおもいます。

学生と話していて、陳腐化ということがその技術が必要と無くなっていく、いらない物になっていくという考えを持っていたりするんだけれど、よくよく考えてみると、そういうことではないんですよね。基本は持続的に、積み重ねの延長で新しい物が積み重なっている。だからこそ、基本が非常に大事になってくる。

その意味では、泥のように〜という話は、単に目先のことではなく、根底の本質的なことを学んでいかないとだめだよと言うところなんだろうと自分は考えますし、一定の理解はしています。暗黙的な物、知恵を得ていかなくてはならないし、情報検索が容易になっていく中で、地頭的な物がこれからはますます必要になってくるわけでしょうから。

いずれにせよ、陳腐化がおきたとしても、鮮度が落ちるのが早くなったとしても、食べ物のように捨てるのではなく、そのなかの旨みの部分をしっかり理解していかないといけないと言うことだと思います。陳腐化という言葉が濫用されている中、ちょっとまてよと考えてみる必要があるのではないでしょうか。