羨望についてちょっとみてみる

引き続き小此木啓吾氏の「困った人間関係の精神分析」からひもときます。

「困った人間関係」の精神分析 (新潮文庫)

「困った人間関係」の精神分析 (新潮文庫)

前回にでていた破壊的感情の大きな要素である、羨望についてここでは詳しくかかれています。
精神分析では嫉妬つまりや気持ちは、三角関係で起こることになります。なのでうらやみやねたみのような物は羨望になります。簡単に言えば、きゃっきゃうふふしているのはうらやましいというやつですね。これは嫉妬になりません。

「羨望は人間のあらゆる破壊性の根源だ」といったのは、英国の精神分析学者メラニー・クラインである。そして彼女は、人間の心が平和になるためには、自分の心の中にある攻撃性、ひいては破壊性を直視し、木の葉改正にきちんと自分の心の中で対処できるようになることだと、生涯主張、した。

この点は前回と共通ですよね。

そして本著ではねたみ深いひとは自己愛性が強い傾向にあるといっています。以前精神科医の方と話したことがあるのですが、最近の傾向として自己愛性障害の人が急激に増えてきているのではといっていました。何が関係して自己愛性障害の人数が増えてきたかは、まだまだこれから観ていかなければならないことだろうでしょうが、生涯まではいかない物の、自己愛性傾向は強くなっている一方だそうです。
そういえば、モンスターペアレンツがでてきているのもその傾向の一端ですよね。

少なくとも現実としては、ねたみ深い人々が増えてきている、そして情報が見えることによってますますねたみ深くなりやすいということが想定されるようです。

■なにが問題なのか

掲示板などで観ていくと、うざいということばがでています。それはそれで感情表現としては正しくあります。

しかし、なぜうざいのか。そのほかの破壊的な感情がでてくるのか。
それを知ることが実は大事だったりします。案外ここら辺を認識するということを怠ることが多く、うざいという言葉だけで思考停止になっている人も多いような気がしています。それこそWhy five timesを使い、考えてみるといいかもしれません。

羨望なのか、暗黙的ルールを無視しているのか。羨望だとして、自分が関われないことなのか。といった形でロジックで落とし込んでいくことが本来としては大事なことではないかなと考えたりします。これらがわかることによって初めて批判から抜け出れるような気がしています。

この点当初の予定した流れから脱線して、違う図書からコミュニケーションにおける大事なポイントを次回考えていきたいと思います。