挨拶botとして
自分は挨拶botといわれていたことがあって、事実そうだと思っているから、自分のプロフィールに挨拶botってtagをつけいたりする。実際結構タイムラインを汚したりしているだろうし、APIが規制されて、全部とれる訳じゃないのに、挨拶によって汚れてしまうということで怒っている人もたくさんいるだろう。何で挨拶botをしているかというのを少し書いてみたい。といって人によって理由は違うとは思うけれどね。
twitterの挨拶は人それぞれ
当然ながら挨拶を行うと言うことは相手がいる。その中でいくつかのパターンがある。
- 初動:おはよー
- 相手からの返信:おはよー*1
- 相手への返信:おはよー
この場合がパターンがいくつかある。
-
- 返信しない
- 複数人併記
- @くれた人ありがとう
- 一人一人に返信する
というような形。当然ながら、一人一人に返信することによって数は多くなる。どのようなときに挨拶botといわれるかと言えば、一人一人に返信する、かつ、挨拶がほとんどというものだろう。これによってpostの中の挨拶の比率が極端に上がり、挨拶botといわれるはずだ。
ちなみに自分は一人一人に挨拶をつける。ただ行っているのは、朝早い時間を中心にしていること。これによって汚れることは少ないかなと思っているから。あとは一言付けたり、おはよーという言葉も工夫する。
ネットの挨拶で「気」をつたえることができるのか?
握手する、手を触れる。こういうことをやることによって気を伝えることができる。気って訳のわからないものかもしれないけれど、実際にあると思うんだよね。じゃあ、文字だけで伝えることができるのか?擬似的に伝えることができると思うんだよね。相手からもらうと言うよりは自分の中で生産するような形。こんな形だと思う。
また一ついえることは、少なくとも相手に返信していると言うことで、ちゃんと見ているよという表明を行っている。ネットの良さは抑揚などがない分、感情の強弱が伝えられにくい分、ある程度の水準の意味の強さを表現することにある。
たとえば、スーパーで商品を買うとき「ありがとうございます」というものをこちらを見るか見ないかで印象は全く違うのは感じたことはないだろうか?これは会社でも、学校でも同様。その点、普段中途半端に挨拶する人が多い気がする。人がいるのに誰に向かって挨拶しているんだろうと。こう考えると、その人に向けて挨拶を行うtwitterは少なくとも適当に挨拶している人よりもよっぽど相手の心が伝わってくる。
川田さんのブログを見て
なくなられた川田さんのブログを見て自分が結構気になったのが、「おはようといいたくて。おはよう。」という部分だった。おはようといえなくなるだけ孤独。たぶんtwitterやっている人なら確実に、twitterやればいいじゃないという話が出てくると思うけれど、実際これを求めている人って結構いるのではないだろうか。
自分がtwitterを様々な人に紹介するとき、特にカウンセリングとかを行っている人に説明するときこの挨拶について説明すると、すんなり合点がいく。たとえば、単身赴任したときどうだろう。家族がいるのに毎日挨拶するだろうか?ただいまといって、誰か返信してくれる人がいるだろうか。twitterでの挨拶はこれができる。*2